突然のクーデターと民衆の変化

2021年2月1日朝、ミャンマーでアウンサンスーチー国家顧問やウィンミン大統領らが拘束されたとの一報が飛び込んできました。その時、私の頭に浮かんだのは「ああ、また軍政になってしまうのか…」という思いでした。私は2000年からミャンマーの子ども支援ボランティアを行っていますが、2011年の民政移管後も、軍が本当に民主主義体制を認めるのか、常に頭の片隅に疑念があったのです。しかし、クーデター後の現地の様子を追っていくなかで、「もう、時計の針は戻らない」との考えへ変わっていきました。

 

ミャンマーでは1962年、1988年と軍事クーデターがあり、1988年には軍の弾圧で1000人以上の市民が殺害され、大規模デモは2週間ほどで鎮圧されました。しかし今回の抵抗運動はすでに4ヵ月近く続いています。特徴的なのは公務員のボイコットなどによる市民不服従運動(CDM)です。医療従事者と教員を中心に広がり、6月からの新学期に対しても「軍による奴隷教育は意味がない」と抵抗の姿勢を見せています。また、軍にダメージを与えようと、政府系銀行員がボイコットし、市民は営業している銀行から預金を引き出しはじめました。これに対して、軍が1日あたりの引き出し金額制限をかけるとさらに引き出す人が増え、まだ暗い早朝からATMに長蛇の列ができ、銀行と通貨への信頼が急落しています。しかし暴動や買いだめなどは起きていません。困窮世帯を支えようと、住民ボランティアによる食料支援などが各地で行われています。民政移管した10年間で、スマホが普及し移動が自由になり、民衆は、軍に抵抗する強い意思と知恵を持ったのです。

 

3/18夜、理由なく国軍の銃撃を受けた最大都市ヤンゴンの私立病院SSC Women’s Center(情報:地元メディア イラワジ、写真:Facebookより)

強硬化した国軍

こうした市民の動きに業を煮やした国軍は、ついに強硬手段に出ました。国軍記念日である3月27日には全国で100名以上が殺害され、その後も無抵抗の市民の弾圧に迫撃砲などの重火器が使用され、ボランティア救急隊や夜中に治安を守っている自警団、家の中にいる市民や道端で遊んでいた子どもまでもが、銃撃されています。その後、都市部での大規模デモが減ると同時に地方での弾圧が激化。5月中旬には、西部のチン州ミンダッで、拘束者を解放するようにと猟銃で抵抗する市民「チン防衛隊(ミンダッ)」が出現。陸路からの弾圧で押さえつけられなかった軍は、ヘリコプターを使用して増援兵や物資を送るとともに空爆。家の中に隠れている一般市民や通行人を無差別に銃撃したほか、拘束した市民を人間の盾にして進行したため、防衛隊は市民とともに何もない山奥へ逃げるしかありませんでした。また丘陵の上に位置するミンダッへの上水道を遮断し、川へ水汲みにきた市民を狙撃するなど、街ごと兵糧攻めにする弾圧を行っています。さらに、ミンダッへ救援物資を運ぼうとしていた市民ボランティアを拘束。88年を知るミャンマー人は「あの時は子どもやボランティアまで殺さなかった」と言います。

 

今後について、このまま軍の実効支配がじわじわと続き、その中で経済は低迷し、いずれ市民が根負けするだろうという見立てと、CDMが軍を弱らせ内部から崩壊するだろう、という見立てに分かれています。ただし、現状では、軍も市民も一歩もひく気配がありません。また、仮に市民が表面上は根負けして軍の支配を受け入れたように見えても、心の中の不満はくすぶり続け、完全に抵抗運動が無くなることはないと思われます。今後どうなるのか、先が見えない状況です。

 

ミンダッ近くの村で国軍の発砲が起き、雨の中、両親と森へ逃げこんだ後、5/22に亡くなった生後6日の赤ちゃん(地元メディア イラワジTwitterより)

真に安定した社会とは

1948年にイギリスから独立して以降、多数派であるビルマ族中心の統治をもくろむ国軍と、自治をめざす少数民族抵抗勢力との間での戦闘が73年続いてきました。ビルマ族が多い中央の平野部では、少数民族が多い山岳辺境地域での戦闘や迫害について知る人は少なく、遠い国のことのように感じていた人が多かったようです。しかし、今回のクーデターを通じて、都市部の一般市民も、いかに少数民族が、国軍による苛烈な弾圧にさらされてきたか認識しはじめました。

 

この国の本当の課題は、アイデンティティが異なる多様な人々が、どのように一つの国としてまとまり、かつボトムアップの意思決定を行うのか、ということ。いかに都市部と僻地の格差をなくし平等で公正な社会を実現できるのか。歴史的に国境をまたぐ移動が多いなかで誰をどうやって国民として認めるのか。自治区をどういう範囲で線引きするのか。135という法律上の民族区分は妥当なのか、そもそも民族とは何か…。そんな根源的な課題と問いが突き付けられているように見えます。クーデター後のミャンマーは、軍政かスーチーかの決着で終わりません。

 

今後も長い目で、一人ひとりが尊厳をもって生きられる社会づくりを、何らかの形で応援したいと思っています。

(2021.5.26)

 

*この記事は、NGOジュマ・ネット会報からの転載です。


筆者プロフィール

名古屋大学大学院博士課程/NGO代表理事。2002年よりミャンマー子ども支援NGOを主宰。軍事暫定政権下から活動。同時にミャンマーの市民意識研究を進める。ミャンマー人のボランティア活動と意識変容を分析した論文で日本ボランティア学習協会2019年度アレック・ディクソン賞受賞。